セカエル繋がりレポート:No.1-3 大分から綾町への旅 <綾町@That’s Bock Ring>

No.1 大分から綾町への旅

No.1-3  7/28  綾町 @That’s Bock Ring
森を守り、育てるやんちゃな若者たち

日本一の原生林である照葉樹林が豊かに広がり、
2012年にユネスコエコパークの町として世界に認められた宮崎県綾町。

前町長、郷田 實さんの必死の努力によって守られた美しいこの森とともに
独自の道を歩んできた町です。

同町長の理念のもと、早くも1988年には
「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定。

2001年には、有機農産物の認定機関としての登録もされ
「有機農業の町・綾」としての地位を確立しています。

仲間のふじいもんが絶賛して、
いつか皆で訪ねたいと思っていた今回の最終目的地です。

(▲日本にわずか3%しか残されていないという雄大な照葉樹林)

この綾町で、田氏の思いを引き継ぎ、
現在進行形で綾町の魅力を想創し、発信し続ける次世代の方々をおたずねしました。

◆   ◆   ◆

皆さんと待ち合わせしたのは
森の中にあるような素敵なCafe That’s Bock Ring. (ザッツ ボック リン)

オーナーは郷田 實さんのお孫さんにあたる、郷田晃平さん。

木をふんだんに使って作られたインテリアは、
すべて晃平さんの手作りであるということ!

広くて高低差のあるユニークな間取りは
他のお店では見ない独特の空間を作り出しています。
まるで秘密基地のような、あるいは隠れ家のようなスペースがあって、
冒険心がくすぐられます♪

そして木のぬくもりを全身で感じられる場所。

今ホットな綾町の中心的カフェです。


(ストローも紙でできています)

ここで、今までいただいた中でも一番美味しい、
と思われるチャイをいただきながら、

晃平さんのお仲間のおたすけマントキさん、
そして、有機農家にホームステイしながら綾に滞在中の
京都大学大学院生でアジア、アフリカ地域の有機農業について研究をしている
生駒さんとお話をしました。

◆   ◆   ◆

おたすけマントキさんは、何と4年も裸足の生活を続けているという、
ドレッドヘアーが目を引く20代の青年。

世界を旅しているときに、Youtubeで綾のことを知って、
翌日には宮崎に向かったという行動派。
1年半ほど前から綾町に移住し、
地域のお年寄りの困りごとを解決したり、
地域活性化につながるような活動をされていて
町の新聞でもその活動ぶりが紹介されています。

今後は綾町の魅力を伝えるツーリズムに力を入れたいとのこと。
わずか1年とちょっとしか綾にいないとは思えないほど、
町の歴史や文化に精通されており、その魅力について、一つひとつ教えてくれました。

素敵だと思ったのは、
ご自身で木彫りされた大きな雛人形に着物を着せて
森の中にお雛様を飾ったという催し。
この雛人形の周りに、村の皆さん老若男女が集ってお祝いをしたと言います。

鮮やかな緑の木々に囲まれて、
赤い着物を着た綺麗なお雛様の写真を見せていただいてとても印象的でした。

生駒さんの方は、ご実家も有機農家さんだということで、
町を上げての有機農業で知られる綾町に研究活動でこられていました。

今後はブータンで研究を続けられるということで、
ここで学んだ取り組みを海外で生かすことも考えられているのかもしれません。

◆   ◆   ◆

素敵なCafe That’s Bock Ringですが
この建屋を囲んでいる木々も
20年前に晃平さんたちによって植えられたそう。

まさに、森作りや森との共生のコンセプトが、
前郷田町長の意思を継いで若い世代にも根付いているのだと実感しました。

(▲晃平さんが手作りされたという、木の上に作られたステージでの記念撮影。
左から 晃平さん、代表の中村、芥川、生駒さん、おたすけマントキさん)

◆   ◆   ◆

その日の夜は、一緒に活動をされている
小野真敬さんと大迫景次郎さんも加わって、
美味しい宮崎の地鶏料理などに舌鼓を打ちながら、
皆さんの活動内容について突っ込んだ思いなどを聞くことが出来ました。

文化情報委員長という肩書きをお持ちの晃平さんですが、
照葉樹林マラソン復活の企画・実現のお話では

どうやって、行政や村人を楽しく巻き込んでいくか?

町外にも綾町のファンを増やして、みんなの意識を森へと向かわせるか?

など、その戦略を語ってくださいました。

口調は落ち着いて、淡々としていますが、
その背後にある、綾町に対する熱いパッションが
ひしひしと伝わってきます。

テーマや課題に関して程よい距離を持って考え、
冷静な判断力と実行力をお持ちの方、という印象を受けました。

そんな姿に、私はただ関心してしまうばかりでした。

また、皆さんが自分たちのことを「綾人」と呼ぶことに
とても新鮮味をおぼえました。

そういう言葉を使う若者世代に、私はほぼ接してこなかったなぁと思います。

私自身も含め多くの人たちは、
そうした地域色の濃いものから必死でのがれ、
ジェネラライゼーションに向かっていくことに、
自由と新しさを感じてきたのだと思います。

でも、近年、少なくない数の方が半農半X的な生活を試みたり、
自然と調和が感じられる地域へ移住し、
古民家の改造や手作りの生活を模索したりもし始めています。

移住者が多い綾町とのことですが、晃平さんのポイントとして

「その人が、じゃあ(綾で)何が出来るかだと思う」

と話していたのも印象に残っています。

その考えを、晃平さんや小野さんたちご自身が大切にしているからこそ、
地域で助け合って、固有の文化(有機農業)を生み出し、
発信源、魅力創出となり得ている、現在の綾町があるのだと感じます。

それにはおそらく世代間に共通して流れる思想(照葉樹林を守るスピリット)や、
上の世代からきちんと精神性を受け継ぎたいと思っている、
晃平さんや小野さんのような次世代のリーダーがいることが
非常に大きな支えであり、
今後のローカリゼーションの取り組みにおいて
大いに参考になる点だと感じました。

時代の遥か先、人間と自然は共に生きるもの、と誓い、
経済優先で進む世界に向けて、自然の尊さを訴え続けてきた綾町。

この町の歩みを深く知ることは、簡単ではないのかもと感じつつ、
今、森を守り育むことに人間が向き合うべき理由の真髄がある気がしました。

【番外編】

小野さんについても少し紹介したいと思います。

小野さんは現在、お蕎麦屋さん2店舗を
自らお蕎麦を打ちながら、切り盛りされています。
そのきっかけとなったユニークなお話もご紹介させてください。

小野さんは、単独で世界各地の貧困地域を渡り歩く旅をした経験をお持ちです。
過酷な環境に関係なく、美しく生き抜く人々とその文化に感動し、
自分の国の文化を自分なりに担うことの大事さに気づかれたとのこと。

それは世界各国で見ず知らずのいろいろな人々にお世話になったから。

帰国した後、胸の中に湧いてきた思いは、
日本的なもので世界の人を暖かく迎える場所で、
日本ならではのものを振るまいたい、
という気持ち。

「日本」という文言が付く食事、
それは何か?を考えた時に

「日本蕎麦しかない!」

という考えにいたり、
未知のフィールドに飛び込んで、蕎麦打ちの勉強を始めました。

しかもその先生はYoutube!

そのことを小野さんは
「事実だから」
と、隠したり卑下たりせずオープンに話してくださいました。

その結果、繊細なのに十割蕎麦!という
とても美味しいお蕎麦が完成しました。

「お蕎麦を打つ時は、いつも語りかけるように
気持ちを込めながら打ちます」とのこと。

その「気持ち」で、お蕎麦の出来が違うのだとおっしゃいます。

そんな小野さんの思いが味にもしっかり反映されているのでしょう。
今、そのお蕎麦屋さん「そば処 ◯ まる」
は平日のランチでも待つほどのお客様で賑わっております。

▼お店の情報はこちら
SobadokoroMaru

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