私はヴィジュアルなことをアレンジするのが大好きです。

それは、絵を描くことから始まり、ファッションから、クラフト、などなど、、、

手を動かして頭でイメージしたものを具現化していく作業は、私にとって単純に楽しい作業です。

今はセカエルの業務と、生活全般に渡って、これまで以上にクリエイティブな活動が増えています。

 

ここにたどり着くまでの経緯は、少々長くなります。

私は、生まれも育ちも関東で、東京の大学卒業後、そのまま東京の会社に勤務していました。

ただ、密かに、海外に居住して美術を学びたいという野望を温めていて、

働き始めてから4年半ほどしてアメリカに渡りました。

ニューヨークの大学院でイラストレーションを学んだ後、

この街に留まり、15年間はアレコレやり繰りしながらもフリーのイラストレーターとして奮闘する毎日でした。

 

外国での暮らしは、時として、自国に対しての自分の無知を認識させるものでした。

その私に転機が訪れたのは、長崎原爆被爆者の谷口稜曄さんが、

現代においても( 2010 年時点)も被曝の後遺症で苦しんでおられる事を、

戦後特集の日本のテレビ番組で知ったときです。衝撃的でした。

 

唯一の原子爆弾被爆国である日本人でも知らないこと。

そうだとしたら、日本人以外の世界の人々は、よりいっそう知り得るはずもないだろうと思うと、

いてもたってもいられなくなりました。

どうぜなら、自分のイラストももっと、世の中に大切なことを広めるために活用できないかと考えるようになります。

 

そしてある朝、偶然谷口さんがNYの国連本部を訪問していることをニュースで知ったのを機に、

谷口氏を突然宿泊先のホテルまで訪問し、インタビューをさせてもらえることになりました。

その後NYから初めて長崎に飛び、情報を集め、5年がかりで谷口さんの「その時と、今」について

1冊の絵本を作成しました。

 

元々、理不尽なことが嫌いな性格でした。

このことを機に、絵を描くだけのイラストレーターというものに何か歯痒さを覚えるようになってきました。

世の中を見回すと、地球温暖化現象で世界中で自然災害が発生し、飢えや貧富格差、ゴミ問題、

そして、もちろん核問題(燃料も含む)の問題が山積していることが目についてしょうがなくなりました。

何かもっと、直接的に世の中をよくできる事はないのだろうか?と、、、

同時に、「アートは世界をかえる」 というような文言を見聞きしても、あまり腑に落ちなくなってきていました。

 

そんな思いを抱えて、17年以上の滞米に終止符を打ち、日本に帰国。

この「直接的に世界をよくする手応えを感じたい」との思いから東京で国際支援をするNPO法人で働き始めました。

フェアトレードの東ティモールコーヒーやスリランカ紅茶を扱いながら、同時に中東の難民問題や、子ども食堂について学ぶ日々でした。

 

同時にニューヨークとの暮らしのギャップも感じました。

トーキョーでは電車に乗り遅れまいと、皆、ぎゅうぎゅう詰めの満員車両に跳び乗り、

毎日ストレスを感じながら出勤する。これはどう見ても異常に思えました。

そこまでして、私たちは何を求めているのだろうか? 私は東京一極集中型の構造にも疑問を感じざるを得ませんでした。

 

そんな時、高坂 勝 さんの「減速して生きる―ダウンシフターズ」という本や、

稲垣 えみ子さんの「寂しい生活」などの本を興味深く読みました。

確かに私たちは無意識のうちに、消費活動に支配された生活を送っている。

そして一方で、それに気がついて、既にその環境の外へ飛び出して行って心豊かに暮らしている人々がいる。

その暮らしは、地球環境に優しく、人々の精神も豊かにしている。

 

私もその様な暮らしにどんどん惹かれていきました。あとは、自分もやってみるしかないか、、、と。

 

そんな時、その時の職場を通じて中村隆市さんのことを知りました。

中村さんの拠点が福岡にあることにも興味を覚え、思い切ってコンタクトしてみました。

 

そして、中村さんが、世界の状況は悪くなる一方であることを危惧していること、

そのためにセカエルという会社立ち上げの構想を持っていらっしゃること、を知りました。

幸運にも、その活動に参加させていただける好機を得て私は思い切って東京を離れました。

 

そして今、福岡でのこの新生活で自分が心身ともに元気になっていくのを感じています。

 

今の私は、絵を描くこと以外にも、もっと自分の手を動かしてクリエイティブな活動をしています。

今までスーパーで買っていたお惣菜の代わりに、自分たちの畑で取れたバジルでジェノベーゼソースを作って、同じ畑の野菜をグリルしたものに載せていただきます。

これまで、こうした行為は全て「時間がない」から「面倒くさいもの」と感じていました。

 

セカエルのメンバーと暮らすようになって、日々彼らの物作りを楽しむ姿勢に触発されているということは大きいです。

作ることが真の意味で楽しくなってきました。破れたシャツの穴も素敵に刺繍糸で縫いあわせて、格好よくする。

本来、私はこういったことが好きなのに、これまで「忙しくて出来なかった」ことです。

このチクチク針仕事をする静かな時間は、無心になります。

NYにいた時は、わざわざメディテーションのワークショップに通っていました。

でも、今は畑で雑草を無心に抜いていく時間が最高のメディテーションの時間に思えます。

虫の声を聞きながら心は静かです。

 

他のメンバーたちの個々の知識からも色々教わる事は多いです。

例えば、野菜を育てるに当たって、もはや、種として機能しない”種”がある事を学びました。

また、実際に農業で生計を立てている方と直接お話ししたり。

今まで「有機農業、野菜」が地球にも人体にも良いと思って、それをサポートする”べき”と思っていましたが、これはある意味、都会の消費者的な考え方でもある様な気もしました。

農家の方からすれば、「そうは言っても、形の悪い、時に虫食いもあるような”自然”の野菜を出荷しても買わないのは、そういっている消費者の方じゃないのか?」といったコメントに、物事の現実を多角的に見る大切さを感じました。

また、わずか数ヶ月前までには言葉しか知らなかった地域通貨の事も学び始めました。

世の中には、理不尽なことがまかり通っている状況について、だって「それが現実というものだ」としたり顔で言い放つ方々もいます。

でもそれに、少しでも立ち向かって、それを是正したいと行動している方々も少なからずいます。

私は後者の方々を尊敬します。セカエルでは、実際にそういう活動をしている方々と、直接の交流もあります。

もしも今、この文章を読んでくださって、少しでも興味、関心がおありの方は、一度セカエルの事務所まで実際に気軽に遊びにきてくださればと思います。

「百聞は一見に如かず」とも言います。

 

ゼロ ウェイストの概念や、半農半X、アグロフォレストリー、

どんな境遇の人でも安心して生きていける社会の実現などなど、セカエルの事業=メンバーの得意な生業(ナリワイ) という形を通して、

「皆にとってより良い世界」へシフトしていくためのステップを、より多くの人と一緒に踏み進めていければと思っています。

セカエルという会社はそういった気持ちを持った皆さんに広く開かれています。

 

私は農業もやりながら、ヴィジュアルの要素やファッションの要素を楽しむ

(アフリカの人を見れば、みんなあんなにアクセサリーをジャラジャラつけながら、お洒落して畑仕事をしていますよね。)

そんな生活を通して、ここで知り合う仲間たちと、どうやってより良く地球と仲良く楽しく暮らしていくかを研究し、皆さんにシェアしていきたいと思っています。

 

余談ですが、、、

なぜ、都会生まれの都会暮らしの私が、ここへきてこんなにも寛げるのか?
それはもしかしたら、子供の頃から毎年過ごしていた、茨城にある祖父母の家での暮らしに起因しているのかもしれません。

祖母はやはり近所に畑を持っていて、夏は一緒にトウモロコシやトマト、きゅうりを採って食べました。

畑の足元に飛び跳ねるコオロギもたくさん捕まえました。こうした行為や畑の匂いが幸せの記憶として私の中にインプットされているのかもしれません。

私のこの様な幼少時代の経験が、全ての人に幸せの記憶を残すとは思いません。コオロギが大嫌いな人もいます。

人はそれぞれユニークで、それでいいのですが、
こういった経験をするチャンスすらない
現代の都会の子供達は、コンピューターに向かってひたすら時間と戦いながら仕事をしていた、最近の私自身を彷彿とさせます。

ちょっと、そとへ出てみると、世界には気持ちの良い場所がたくさんあります。でも自分にとって気持ちの良い場所を知るチャンスが無かったり、奪われたりするのは本当に残念な事です。

世界は多様で、全て連鎖しています。

それを日々身体で、五感で感じるチャンスをもっと多くの方に味ってもらえたら(特に子供たちに)と感じています。

ですので、私自身が北九州へIターンして、問題なく素敵な暮らしが出来ていることを
セカエルの活動を通じて紹介し、少しでもそれにフォローしてくれる仲間が生まれたら、それは私の本望です。