今から300年ほど前の日本に三浦梅園という医者がいました。
「自然哲学者」ともいわれる彼が、こんな言葉を遺しています。

「枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」

枯れた木に花が咲くと人々は、奇跡が起こったといって驚く。だが、ほんとうに驚くべきことは、生きた木に毎年花が咲くことではないか、と梅園は言っている。
毎年、春がくると梅が咲き、桜が咲くことは、あたりまえのこと。私たちが、朝起きて、目が見え、音が聞こえ、手足が動く、それもあたりまえ。
肺が働くから空気を吸える。胃や腸が働くから食べ物を食べられる。心臓が働くから血液が全身を巡ることができる。人間の心臓は、80年生きると、およそ30億回も鼓動を打ち、心臓を収縮させて、全心に血液を送る。それを昼も夜も寝ているときも続けている。これもあたりまえ。
あたりまえのことに対して、私たちはあまり関心を持たない。だから私たちは、自分の身体に感謝することは、あまりない。
同様に、空気や水や食物を提供してくれる森や大地や海に対しても あたりまえだから、あまり感謝することがない。
しかし、こうした無数の「あたりまえ」が私たちのいのちを支えている。
「枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」というのは、「あたりまえのことに奇跡が宿っている」という意味でもある。
地球という星に空気があること、水があること、土があること。山があり、川があり、海があること。草があり、木があり、森があること。虫がいて、鳥がいて、魚がいること。多様な動植物が生きていること。
全ての生命(いのち)の母が地球であり、この星に生きる皆が私たちの家族であること。
そのことに気づくことができれば、これまでの人間の行為がいかに自己中心的であったか、理解できるだろう。

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