セカエル繋がりレポート:No.1-1 大分から綾町への旅 <アイデナルボランティアサロン>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

No. 1 大分から綾町への旅


No.1-1「ハスノハ子ども食堂」を訪ねて

 

まず目指したのは、大分県別府市で

市民グループ「アイデナルボランティアサロン」の代表をつとめ、

現在「ハスノハ子ども食堂」を運営されている渡邊和美さん。

一緒に働かれている和美さんのお姉さんと、息子さんの統介さんも迎えてくださいました。

 

渡邊さんは、セカエルが開催した

「いのちの学校」にも2日間にわたる全てのプログラムに参加くださり、

福島原発事故当時、現地での活動のお話もシェアしていただきました。

 

そんな繋がりから始まり、直接お会いしたい、

そう思い今回お会いする運びとなりました。

 

 

目の前に落ちてきたことをやっていく

渡邊さんは1995年から、過疎地の子どもの教育や支援を続けてこられました。

特に2011年の東北震災時には、率先して自ら支援物資の輸送や配布をしてこられ、

その後も震災避難者(主に子どもたち)のためのシェアハウスを、福島や福岡で開設された経験もあります。

 

そんな渡邊さんが、社会的な活動を始められるきっかけがあったのは

27歳のころ。

 

40代ぐらいで、一度も就学したことがない脳性麻痺の方へ

英語を教えてほしいとお願いされたことから始まります。

識字は一切ないけれど、耳がとってもいい。

そこで耳だけで英語を教えるサポートをされました。

 

この方との出逢いがきっかけで、

ハンディをもっているけれど、スペシャルな才能をもっている人たちに対して

教育サポートを始められるようになり、

このことが今後の人生を歩むきっかけに繋がったと話してくださいました。

 

渡邊さんは国内に留まらず、

アメリカやドイツ、韓国でも積極的に活動をされていています。

 

韓国では不登校やいじめ経験のある子どもたちを韓国の田舎に連れて行き、

自然体験学習を開かれてこられました。

 

和美さんが活動をするにあたって、大事にしていることを聞くと、

「子どもたちに伝えたいことを

勉強や、言葉だけで訴えていくことももちろんいいんだけど、

でもそれだけじゃ、大事なことは伝わらない。

味覚とか匂いとか、五感から感じてもらわないと、子供の記憶に残っていかない」と話してくださいました。

 

そういう伝統を守り続けている例が韓国では多く、

漬物とかキムチとか昔から受け継がれた料理法など、忘れられないその味・匂い、

そういった昔からずっと続く田舎のエッセンスが、子どもたちの心の指針をつくっている、とのことです。

 

そんな韓国の田舎に子どもたちを連れていき、五感をフルに使える場づくりをしてこられました。

 

 

人の命を守るために、自分の命をも顧みないお母さんの姿

3.11を機に。

 

震災後の福島に行くことを決める前、

語学学校や塾がないような山間部で公民館を借りたり自宅を開放するなどして、

寺子屋的な塾を運営しながら子どもたちのためのさまざまな社会活動に取り組んでいた和美さんでしたが、

福島原発事故が起きて、今やっていることを全部捨ててでも、現地に入って活動しなきゃと思い、

今までやられてきた活動を一度全部やめられたそうです。

投資も全部すてて、いろんな人に謝って、福島に行かれました。

 

放射能については、たくさん知識があったわけではないけれど、

かなり危険であるとは分かっていて、現地入りすることにもちろんこわさを感じていた。

でも震災後の福島で、今まで各地で関わってきた「大人社会から守られなかった子どもたち」が味わった悲劇が、

福島の子ども36万人規模で、やられてしまうのだろうか?と思うとこわくなり、

とにかく自分の目で確かめて、判断したいと思い、現地入りされたとのことでした。

 

福島での活動を始められてから、今でも本当に覚えていると話してくださったのは、

「家を出る時に玄関で、この靴を、もう一回子供たちのいるこの家で並べて脱げるだろうか…」

 そう毎回思いながら、家のドアを開けたのを覚えている。

自分の足で帰ってこれるかも分からない、

よくそう思いながら福島に行っていたそうです。

 

実際に、震災時に現地入りしてから、かなり被曝され、

2,3年前に一時期、目が見えなくなったといいます。その療養もかねて移り住んだ別府でも、

今引き続き地域に入って子ども食堂、居場所づくりの支援活動を続けておられます。

 

27歳のころから始まり、現在にいたるほぼ26年間もの長期にわたって、

弱い立場に置かれた方々にずっと寄り添ってこられた活動には尊敬しかありません。

 

そんな母親を近くで見てきた息子さんの統介君は

母和美さんのことについて、

「母は自分の体調のこととか考えずに、仕事に行っちゃう人。

帰ってくるたんびに、私もう少しで死ぬかもしれないと思ってた。

 

だから、中学生で高校に上がるときに、今は学歴はいらないなって思った。

母親はあと1・2年で死ぬと思っていた。

だからそうなったとき、究極貧乏でもいいから、一人でも生きていけるように、

そこが何よりもほしくて、高校を通信制にしてアルバイトをすることにした。

結局母はぴんぴんしていたけど・・。」と笑いながら話してくれた統介さん。

 

福島に行く前は、現地に入ることはただ事ではないから、

しっかり子どもたちにも向き合って伝えたこと。

 

それは

「お互いに触ってね、いま、私たちあったかいでしょ。

だけど、そういう家族であったかい、血が流れている、生きてるって感じれる生き方ができなくなる地域が今からある。

だからそういう地域に行きたい。」

 

「遠いし、危ないし、それでも行ってもいいか」って聞いたら

お兄ちゃんたちは、今までも見てきてるから「わかった」って言ってくれた。

本当には分からないんだろうけど、行こうって。ちっちゃな覚悟をもたないと。

そう思って家を出た。まだ幼い子供たちにもこういった話もちゃんと伝える。」

と和美さんは話して下さいました。

 

 

これからの子ども食堂

「安全なものの味が分からない僕たち世代。」

 

「ただ食事が食べられる場所としてだけではなく

子どもたちに食べさせるものは、極力安全なものにしている。

 

今の子供たちや僕ぐらいの歳の世代は

安全なものの味がわからない。

化学調味料で出した味が当たり前になってしまっている。

安全なものを食べることは意識しないとできなくなっている今、

子ども食堂・地域食堂っていう活動の中でどこかその足掛かりができたら。

普通の人たちがお金に困った時でもふらっときって、安全なものの味に触れる機会ができればと思っている。」

そう話してくださった統介さん。

 

やっていることは子供食堂だけど、

できるだけ広い範囲で効果を与えたい、と

お母さんのやりたいから始まった子ども食堂だけれど

自分の意志をもって子ども食堂をやられているのを感じました。

 

このハスノハ食堂は、2021年2月からスタートし、

大分県だと子ども食堂をやっているのはここだけとのこと。

子ども食堂では珍しく、毎日食堂を開いている。

毎日通ってくれる子どもたちも増えており、地域の人々にとって来やすい場所になっているのが窺えます。

 

子ども食堂を始めたいと言う母和美さんに対して、統介さんは

「僕自身は中学生のころから、母がもう死ぬんやないか、死ぬんやないかって思って見てきたから、

できるだけ母がやりたいって思うことをやらせてあげたい。

それで子供食堂やりたいっていうから、作ることになった。」

 

和美さんの長男さんも、ここで知的障害がある人や子供たちに勉強を教えることをやられているとのこと。

 

お母さんの生き方をちゃんと子供たちは見ていて、

そしてその生き方を子どもたちが受け継いでいる。

 

統介君が私達といるときだけに言った

「母の力になりたい

母から勉強させてもらっている。」

 

その言葉に、家族の強いつながりと絆を感じました。

 

一般的にお金にもならないことをやると親が反対するのは普通だと思います。

でも渡邊さんの場合は親がそういう生き方をしているから

子どもにとってもそういう生き方が当たり前になっているのだと感じました。

 

「今さらお金をもってもどうしようもない。

使い切らない、僕自身が。

不安はないわけではないけれど、究極いくらあればやっていけるっていうラインがあるから

僕の中で生活水準を上げないっていうのを大事にしている。

そこさえ守れれば、アルバイトでもいいんです。」

 

そう話してくれた統介さん。

まだ21歳だとは思えない彼の生き方に対する意志に

私自身も、まずは焦らず、今生きていけている暮らしに感謝し

じっくり落ち着きを持って、自分以外の人のためにできることをしよう、そう思いました。

        
「蓮の葉未来チケット」子どもたちからのメッセージ

 

家族でつくるみんなの居場所

 

話が止まる様子もない中、

息子の統介さんが、自分で焙煎したコーヒーを淹れてくださりました。

   

自ら焙煎したコーヒーを淹れてくださっている統介さん

 

ご自身で手作りした手回し焙煎機を使って焙煎をしたとか。

 

自分で工夫するのが得意と話す統介さん。

和美さんは全国を飛び回って活動に忙しく、昔から家のモノが足りなかったから

専門的なものを使うのではなく、いろんなもので工夫しながら、

できることは自分で作ってみよう、と幼いころからやってきたといいます。

 

子ども食堂ではその経験も生かして、献立を考えたり、カフェメニューも自分で作って提供されています。

 

そんな統介さんが淹れてくれたコーヒーを味わうと、

甘いコクが広がり、本当においしい。

私たちメンバーも、ちょうど焙煎の練習で使っているコーヒー豆だっただけに

この甘く広がる味わいを焙煎で出せていることに驚きました。

 

統介さんの手で工夫され、丁寧に焙煎されているのが伝わる味。

統介さんの今までの話と重なり合って、忘れられない味になりました。

 

母和美さんの育った環境、統介君の育った環境、

それぞれに大変興味深く拝聴しましたが、お2人とも周囲をみながらも、しっかり自分に軸をおいて思考し、

対応し、行動していっている。

 

和美さんや統介さんのような方々との出会いというのは

なかなかこの時代に目指している先・見ている方向が同じ方たちって巡り合えそうで巡り合えないのではないかと思います。

 

そして人のためになる仕事が、自分のやりたいこと・

自分の嬉しさや幸せにつながっている。

 

渡邊さんご家族にお会いして、これを本当に体現されている方々なんだと感じました。

 

渡邊さんご家族の社会への向き合い方・生き方に、

もっと光があたるように、ここに巡り合わせた私たちからこの日受け取った話を

他の人にも伝えていくことに、とても意義を感じます。

 

子ども食堂の前で

 

訪れた場所
アイデナルボランティアサロン 
共に学び分かち合える、心と体の居場所つくりを目指し、
学習支援「あいでなる学習室」、「喫茶蓮の葉」、子ども食堂を運営されている。

 

 

(文 芥川)

 

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